何の自慢にもならないですが、自己肯定感、めちゃめちゃ低いです。
自己肯定感。この言葉が出だしたのはいつ頃だったけ?
ここ5~6年?7~8年か。
育児、家事、仕事。
毎日精一杯で過ごしている中で気づいたこと。
自分の自己肯定感は病的に低い。
夫婦関係、親子関係、仕事から生まれるストレス、全ての元凶はそこ。
自分を冷静、客観的に見れず、不足部分ばかり目が行ってしまったり、
他人と暮らす上で必要な寛容さや協調性、想像力、思いやり、愛情、、、、それらを十分に持てないのは結局、
自己を肯定出来ていないから。
自分を大切に、愛せていないから。
以外になく、自己肯定感の低さが様々な無用な衝突、重いストレスを生み出しています。
旦那から「1000人いたら3番目くらいに低いよね、、、」言わせるほどの低い自己肯定感を上げるには?
ある概念をなくすこと。
その言葉、概念に異様に囚われてるから、客観性を持てず、些細な事や言葉が気になる。 概念は全部で三つ。一つ目は
責められる
人に責められる事で大きなダメージ追うのが自己肯定感の低い人。
なんせ自己を肯定していないから、他人に否定されようもんなら烈火のごとく怒り出し、「責められること」に敏感、過敏。
でも待って。
責められると感じるのは誰?
ただ事実を指摘されただけでは?
相手はただ相手の考えを伝えただけでは?
二つ目は
褒められる
褒められるためにしているの?
自分の行動を人から褒められるかどうかで決めると褒められないと落ち込み、挙句の果てに褒めてくれなかった!人に攻撃的になりがち。
自己肯定不足から他人からの肯定を必要以上に求めてしまうのも、低い自己肯定感の負債。
三つ目は
認められる
二つ目の褒められると大筋は同じこと。
よく自己肯定感を上げるには「自分を褒めよう!認めよう!」言われています。
自分を労わり、責めない。小さな事で自分を褒めて、認めて、、は定説。
ただ私のように重症患者はそれだと効果は出にくいみたい。
もうその概念そのものを捨てる。
言葉を捨てる。
存在を捨てる。
(自分を)責めないことばかり、褒めることばかり、認めることばかり気にしてるから、他人からのそれらも気になる。
その意識そのものを無くしてしまえ。
責める、褒める、認める。
考えない、気にしない。他人はもちろん、自分に対しても。
低い自己肯定感がなかなか上がらないのはそのものに囚われ過ぎかも。
しっかり自己肯定出来ている人って、そんな概念すらなかったりします。
余計な事を考えずにただ目の前のことに集中する。
誠意と感謝を持って自分と、他人と、社会と接する。
そうした方が道は開けるのかも、思う日々です。