4歳には4歳の理由がある。40歳が見えないもの
自分視点でしか見れてないな、考えられてなかったな。
日々暮らしていると時々(と思いたい)ふっと気づきます。
職場で、家庭で、他人と接する中で、自分の視点、意見でしか物事を考えていない時ってやっぱり不必要な衝突、摩擦、誤解が生まれます。
先日、息子が絵本をベッドの上に広げていました。その数20?25?
ドサドサドサ、バサバサバサ、絵本の小山の隣で好きな絵本を読む息子。
それを見た私は強めの口調で、
「(息子)、出すのは読む本だけにしてくれへん?こんなにいらんやろ、読みたい分だけ出して」
今から使うベット、片付けにかかりました。
息子が散らかした絵本を一人で片付け(普段は本人にさせますが疲れていて促す気力がない時は、駄目だと思いつつ自分でしてしまいます。)
片付け終わってふと、、、、、
「もしかして、広げて選んでいた?読みたい本探してた?」
「うん」
本棚に並んだ絵本、当然背表紙に絵はありません。
文字、タイトルだけ。
そう、4歳になったばかりの息子はほとんど字が読めない。
好きな絵本は絵で判別するし、一人だと絵本は読むものではなく、絵を眺めるもの。
「(本棚にある本は絵が)見えないの。(本を)動かしてもちょっとしか見えないから出して探したの」
またやってしまった。。。。。。
申し訳なさ過ぎて、情けなさ過ぎて涙が出そうになりました(だから疲れ過ぎ)
この手の後悔、反省、何度繰り返したら私は学習するのでしょう。
人の行動、言葉には意味がある、理由がある。
人から見れば眉をひそめる事でも本人には裏付けがあって。
他人がわからないだけ、想像していないだけ。
一瞬立ち止まって、相手の気持ち、立場になって想像すれば、わからない、は減るし、例えわからなくても苛立ちや怒りはぐっと少なくなると思います。
感情的になった時の客観視する力、自分と状況を俯瞰する力。
まだまだ身に着かなくて。どうしたら少しでもレベルアップできるかなぁ。。。
自分の意識、視点を変えるにはもっと工夫が必要みたいです。