物に価値はない 人から見たら処分品
去年の12月に倒れ、入院生活が続く叔母。
リハビリが始まっていますが、どちらにせよ元の家の一人暮らしに戻る可能性はほぼありません。
無人になった家、入院以来何度か足を運び、片付け、整理をしていますが、、、、
めっちゃ物多い。。。。
4LDKの一軒家、一人暮らしには十分過ぎる大きさ。
物を処分、整理しなくても置くスペースがあるとこうなる、の見本的状態。
実の息子二人と私、叔母の弟である私の父と母、大人五人で取り掛かるも、果てしない。手に負えない。
想像を絶する物の量、業者に依頼することに。
廃棄とハウスクリーニング、セット料金はまずまず納得価格。
「どれ処分するの?」聞く私に長男、次男共に
「全部」
「全部?」
「全部」
・・・・・・・
もう空っぽにしてしまうよう。
数えきれないほど遊びに行った叔母の家、叔母が大事にしていた調度品、家具、食器、衣類にアクセサリー。
全部捨てるのか。。。。
どれだけ叔母の思い入れがあっても、人から見たら処分品。
大事にしていた物でも、もう着れない、使えない状態に(本人が)なっては意味はなく、価値もない。
まして20年以上、離れて暮らす息子達にとっては不要な物でしかなくて。
当たり前ですが、なんともやるせない思いになります。
反面、業者に任せるのも悪くないとも思ったり。
物を処分するってパワーが必要。まして親しい人の物。
持ち主の想いを思うと手が止まるし、活躍していた頃を思い出せば感傷的になります。
実際整理していると心を引きずられ、体力と時間の消費はかなりの物。
全部処分するなら思い切って業者依頼、懸命なのかもしれません。
随分前から終活が話題になっていますが、本当に。
高齢じゃなくてもいつ何が起こるかわからないこのご時世。どの年代、どんな人でも近辺の整理は重要で。
暮らしていけば物は増える。年齢を重ねれば大事な物も増えていく。
だからこそ常にタイトにシンプルに、削ぎ落としていく意識が必要な気がします。
それにしても物って、使う人がいてこそだなぁ。。。。
物そのものには価値はなくて、大事に、思い入れを持って使う事に使う人が価値を感じるだけのこと。
使う人がいなくなれば、、、、、
叔母が大事に大事にしていた物。少し譲り受けたのでまた書きたいと思います。