少し前からまたちょこちょこ断捨離しています。
物は少なくシンプルに。
一つ増えたら一つ減らす。
溜め込まず、使う、回転させる。
少しづつ身に着いてきた習慣、思考。
目指す人、暮らしに近づいてきた実感はありますが、それでもまだまだ手放せない物は多く、勿体ない星人は健在です。
もっと軽くなりたいなぁ。
そんな心に正直に、一つ一つか確認し、手放す日々。
先日は抱っこ紐。10月で3歳になる娘にもう抱っこ紐は必要ない。頭では理解しつつ、息子も使った抱っこ紐、なかなか踏ん切りがつきませんでした。
でもようやく手放し。
きっかけは些細な事、抱っこ紐で抱っこされる赤ちゃんを見た直後、娘を見た日、
もういらんやん。
ストンと、真っ直ぐ腑に落ちました。
娘は成長している。もう赤ちゃんじゃない。
もう戻れない、戻らない。
当たり前の事がようやく消化できて。それまできっと名残りが強かったのかな。成長が嬉しい反面、淋しさも強く未練があったのでしょう。
でもそれって今の娘をしっかり見れてない。今を見れば過去に必要以上に縛られない。
手放せなかった抱っこ紐は、むしろ娘にごめんね、思いながら処分できました。
これを機に少し弾みがつきました。
息子と娘、二人が着た衣類、可愛いけれど重たくて履く機会が少なかったスニーカー、同じく可愛いけれど使い勝手が悪かった日傘、旅先で買った思い出が詰まったコーヒーカップ、、、、、、、、
今の家族、私にいる?
これからの家族、私にいる?
一つ一つ確認し、一つ一つ手放す作業は物だけでなく心と脳を整理してくれます。
もう終わったな、過ぎた事だな。
片付けとは片をつける。言われますが本当に。過去に片をつける行為。
奥深く、真理がある気がします。
よし!見直すぞ!
がっつり時間を作って片付ける時もありますが、日常のふとした瞬間に考えることも。ただまだまだ断捨離偏差値は低いので、即決できない時は寝かせます。
寝かせたらある時ふっと納得できる瞬間が来ます。抱っこ紐のように。
今日は今から文具の見直し。小さな物でも少しづつ少しづつ。
夏が終わる頃には一皮むけた?一回り軽くなっていたいです。